NHKの番組で宮崎吾朗の決意に感動した。

私は父の重圧みたいなものは社会的なものとしてはあんまり感じてなくて(倫理的なものとしては結構感じるけど)、宮崎吾朗が父と違う職業を選んだ後で、鈴木敏夫ジブリ美術館の建設にあたって父と仕事(アニメでないにしろ)をすることになって、そのあとまたもや鈴木敏夫が「彼(吾朗)にはイメージがある」という理由で監督を打診したのを、実家で父母と三人で見ていて、ゲド戦記をみてやっぱり少しがっかりしたし、けど父親には及ばない、みたいな評判にはうんざりしたという、そして別段深く考えようとも思わないまま、忘れていた身としては、素人の二世が国民的なアニメ映画会社の作品の監督をやってしまうというあまりの残酷な状況を「仕掛けた」鈴木敏夫はやっぱりひどいと思ってしまって、「断ったほうがいい」と、もうゲド戦記をみたくせに、そしてコクリコ坂をみてないくせに思ってしまった。

でも(当たり前だけど)宮崎吾朗さんは仕事を受けた。
父にはアニメの世界に入りたいといわず、母にだけ相談して、
「才能の世界だから」とだけ言われて、
たぶんいろいろ悩んで、ちがう道を選んだ人が、
30そこそこで、素人として鈴木敏夫の話にノったということが、
もう事実としては知ってたにも関わらず、「すごいことだ」と思った。
才能という言葉は、偉大な業績を持つ人間を親族に持つ人たちには、かなり具体的な手触りを持って(たぶん「血」とかいうイメージももちつつ)、自分が同じような道に進むのかどうかという状況では必ず現われてくる困難なんじゃないかと思う。自分は幸か不幸かそういう親族がいないから、にしても「才能」という言葉には結構いつも打ちのめされるのであって、そうやって打ちのめされる人は、言語的にしか「才能」を克服できないと私は思う。「才能」に打ちのめされる人は、困難を感じる人は、「才能」という概念をなんとかして克服しないと、手を動かせないと思う。

で、宮崎吾朗はかなり言語的に乗り越えていこうとしてるように見えた。理屈で、といったほうがいいか。理屈を超えたものを求められて、それは自分でもわかっているけど、理屈を通さないとそれをできない状況が宮崎吾朗を取り巻いていて、彼は自分にできるのか、できないのか、判じあぐねて、できるかできないかではなくて、やるしかない。といった感じで監督することを受けたように、自分は番組をみて感じた。そしてそういう、やるしかないというやりかたで、コクリコ坂も作っているように見えた。

一度職業として別の道を選んで、かつてやりたいと夢見た、今も夢見る仕事を、やるしかないという態度でやってしまったことに感動した。全面的な成功はありえないなかでそういう選択をし続けるということに敬意をもった。そしてそういう弱弱しくも猛々しい態度で、父と違う形で父と同じ土俵にたとうとする宮崎吾朗に素朴に勇気を与えられた。