言葉の速さと遅さ


しゃべり言葉の速さと思いつきさ加減、

話されたそばからもうどこにもなくなってしまうような、

自分に溜まっていかない感じと、

書きつけられた言葉のどうにも動きようのない遅さ、

言いつけられた言葉のずっとぐるぐるとまとわりついてくる停滞感と、

こういう言葉のむけられかた、「言葉」という輪郭の与えられ方で、それらは全然違うリズムを生むんで、

ずっと毎日毎日が無駄になんの境界線もなく、突然現われてくる「締め切り」に対して注意深くしたり、そもそも守らなかったりしていた学生のときと今は違って、

社会(というより他人間)関係のなかでのわりと単調なリズムとそれぞれの言葉のリズムがどんどんずれてってその隙間のような、過不足めっちゃある感じが、結構不安だ。

でもこうして書いてみると、学生のときは、(自分の)言葉のサイクルにひたすら忠実に、「住んでた」かんじだ。

外へ出されて、たくさんの自分以外に殴られて、もちろん自分も知らずのうちに何かをちょっとずつ殴ることで、

自分じゃないものが構成する状況にいるということだと思う(当たり前すぎるけど)。だとすれば、そういうたくさんの自分じゃなさのなかで、どう振舞うことを望むのか、ということを、時々は自分の言葉の家にこもってじっとしながら、考えていくしかないなあ。

デジカメが壊れてから、撮りためた写真を使ってるけど、ついに適当に選んだ画像が2011/8/27のものに当たった。一年前の同じ日には、私は友達にジャムを選んで買っていった気がする。