パソコンに引きずられる。
一緒に仕事をしている敬愛する企画のおじいさんは、いつもレポート用紙にアイデアとか企画書とかなんでも鉛筆で書いていて、理由を「パソコンに引きずられるから」と言っていた。
タイピングで文章を書くときに、データを作成して、字を画面に表示するのには「入力→変換→出力」という仕組みというかルールというかが必要なはずで、それを1と0の積み重ねでやってるんだと思うけど、ようはルールを通して思考を表現しているわけで、それは確かに、筆記具をつかって紙やらに書き付けるのとは全然違う行為で、でも前提があるぶん、文章を作成するのは圧倒的に早い。
そういえば、宮澤さんの所属する坂口安吾研究会に前田塁が出て話をしたときについていったときに(テーマはそうだ「安吾と速度」だった)、パネラーの川村湊が「もうタイピングに直筆は全然速さでかなわなくて、仕事では使えない」と言っていた。仕事っつっても色々あるんだと思う。
保坂和志が「考えるために小説を書いている」と『小説の自由』からつづく三部作のどれかで言ってて、保坂和志はたしか手書きで原稿を書いてたはずで、どっちがいいかは置いといても、違いはもっと知っておきたい。
企画のおじいさんは「パソコンに引きずられると書きたいことが前面にでて論理性が欠ける」といっていて、私はこのブログを書くときに手書き原稿を用意しないけど、まあそれが原因かわからんけど、確かにひどい文章で、思いつきが右往左往するだけだ。
全然まとまらずに今日もおしまい。
けど今思いついたけど、①結論をわかりやすく導くために論理という構造を提示する必要がある。②結論は与えられるものではない。
言語的に構成すれば論理的に問題ない文章は量産できるわけで、前提と結論が人を納得させるには、論理性だけではそうならない。
じゃあなにが人を納得させるのか。
情熱だ!パッションヌだ!とは言いたくなくて、
もっと丁寧に複雑に知りたい。
なにが人を納得させるか。説得力を持つか。
納得させる相手を一般化することが不可能というのがひとつのヒントとして出てくる。その先はまた今度考える。
また。