すがられる藁 ひもじい気持ち
藁にもすがる思いの人には、
すがられる藁の気持ちがわからない。
「藁にもすがる」というのは藁が助けになるようなものじゃないのが前提で、
実際、藁をつかんだって、藁は人間の重みに耐えられない。
突然つかんだ藁が光りだして、つかんだ人と一緒に救済されるという話ではない。
藁にもすがるひと、に見いだされた藁には、つかまれることに何の必然性もない。
ただの暴力である。
必死な人には必死であるだけのストーリーが必ずあるにしても、
そこにあっただけの藁にはそんなストーリーは共有されない。
すがられる藁を想えないだけ必死な人は、
そして当然ひとりぼっちである。
ひもじい気持ちが、なにがしかをつかもうとして、実際は藁をつかむ。
つかまれた藁は当然ちぎれる。
どうしたらいいのか誰かわかるでしょうか。
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なにかが起きて、翻弄されることに理由はない。
が、翻弄されていること自体の持つ説得力は逆に増していく。