忘れず考えるために

会社員になって一年経った。

すごい速さで一年が過ぎて、自分が何をやってるのか、考えているのか全くわからなかった。

大学時代に考えていて、大事だと思っていたことと、途方もない距離で隔たってしまったような気がする。ときどき外回りで歩いていて、空が晴れていて、空気が乾燥していて、互いに通り過ぎる通行人の顔と顔、革靴が道をたたく感触の、その連続のなかで、突然、大学時代に考えていたことの断片が、雰囲気だけ強く感じられたりする。そういうときにメモでもとればいいけど、大概いそいでいて、どんどん人とすれ違いながら、信号を待ちながら、いま、「自分は考えることができている」「大事な感覚を思い出している」と思って、目的地ついたときにはほとんど忘れてしまっている。

そういうのが続いて、考えたいことよりも考えさせられることのほうが思考の領域を占めていくのだと思うと、すごくいやだ。

それだったら、最初から自分の外にある思考に奉仕するような時間を重ねてくればよかったのにと思う。社会とか会社とか組織とかのために合理的に判断できる訓練を、そういう分野の学問を学びながら、やってくればよかったのにとほんとうに思う。

けれど、自分の四年間はそうじゃなかったわけで、そうじゃなかったのはそうなじゃない生活を望んだ自分が、自分のそれまでがあったわけで、自分はそういう自分と自分の考えていたことを自分の思考領域から締め出させたくない。そう考えて、文章を書いて、考えることをやろうと思う。

ということで、前置きは長かったですが、

今後は通過について、立体性について、
生活について、嗜好と志向について、
それから祝福と愉快さについて、
文章をかいていこうと思います。

具体的には、自分が出会った表現について、
自分の考える表現について考えたことを、
いま僕がやってるフリーペーパーとも関係させながら、
友人を巻き込みながら、
文章にできたらと思います。

おやすみなさい。